メタボリックシンドローム。
これの基準って、実は結構ブレているんですよね。
最近の研究では、メタボリックの診断基準には大きな不一致が見られ、
2つの診断基準の間の一致度は、男性で平均40%、女性で平均50%であり、
IDF基準に協調して作ったとされるJASSO基準とIDF基準の間の一致度は、
男性で30%、女性で40%であり、5つの診断基準全てで一致したのは、
男性15%、女性20%だったと報告されていたりします。
1.世界糖尿病連盟(IDF)基準:
腹囲男性90cm、女性80cm以上が必須。
かつ、血圧130/85mmHg以上、中性脂肪150mg/dL以上、
HDLc男性40mg/dL,女性50mg/dL未満、血糖100mg/dL以上の4項目中2項目以上。
2.日本肥満学会(JASSO)基準:(2006年から2007年にかけて、この基準が不適切であるとするエビデンスが集積してきている)
腹囲男性85cm、女性90cm以上が必須。
かつ、血圧130/85mmHg以上、中性脂肪150mg/dL以上またはHDLc40mg/dL未満、
血糖110mg/dL以上の3項目中2項目以上。
3.改訂NCEP-ATPⅢ基準:
腹囲男性90cm、女性80cm以上、血圧130/85mmHg以上、中性脂肪150mg/dL以上、
HDLc男性40mg/dL,女性50mg/dL未満、血糖100mg/dL以上 の5項目中3項目以上。
4.九州大学(久山町研究グループ)の提案:
JASSO基準の腹囲を男性90cm、女性80cm以上に改変したもの。
5.腹囲をCRPに置換した提案:
改訂NCEP-ATPⅢの腹囲をCRP0.65mg/L以上に置換したもの。
まあ、いろんな見解があるわけです。
で、2005年に日本肥満学会が提唱し、メタボリックシンドローム診断基準検討委員会が
承認した診断基準は、日本動脈硬化学会、日本肥満学会、日本糖尿病学会など
7学会から選出された14人の委員で構成された「メタボリックシンドローム診断
基準検討委員会」(14人の委員のうち8人は日本肥満学会の役員)が約1年間をかけて
検討・設定し、2005年4月8日に日本内科学会総会で発表した
「日本でのメタボリックシンドロームの暫定的な診断基準」というわけです。
で、ここでは、臍レベル腹部断面での内臓脂肪面積100cm²以上とする。
ただし内臓脂肪面積を直接測定することは健康診断や日常臨床の場では
容易ではないため、腹囲の測定により代用し、男性85cm以上、女性90cm以上を
内臓脂肪型肥満と診断する。※できれば腹部CT撮影等により内臓脂肪面積を
精密に測定することが好ましいとした。
まあ、内臓脂肪面積は男女混合で決めて、そこから男女別に腹囲基準値を
決めたのは論理的に誤りで、その後の、内臓脂肪面積も腹囲も一貫して
男女別に検討した複数の研究では、全く異なる数値が提唱されており、
各方面から、日本肥満学会に対して、この基準を撤回することが求められているんですね。
来年春から、メタボ対策も本格的に開始されてしまうわけですが、
どうなりますかねぇ~。
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メタボ対策の見地から言うと、ラーメンは、こってりしていて
一番食べちゃダメなイメージがありますが、喜多方ラーメンは
さっぱりしていて、ラーメンとは一線を画してますよね。
それ、実はルーツに秘密があるんですね。
喜多方ラーメン(きたかたラーメン)は福島県喜多方市周辺で作られるラーメン。
喜多方市(合併前の旧喜多方市)は人口37,043人に対し、120軒ほどのラーメン店がある(対人口比では日本一)。
札幌、博多と並んで日本三大ラーメンの一つに数えられる。
喜多方では中高年層を中心に「そば」と言えばラーメンを指す事が多いが、
この地域一帯はいわゆる「蕎麦」の産地でもあるため、ラーメンの事を指すときは
「支那そば」と区別して呼ぶこともある。
スープは醤油味がベースだが、店によっては塩味や味噌仕立てなど千差万別である。
麺は太めの平打ち縮れ麺を使っているのが特徴。
喜多方ラーメンの発祥は、昭和初期、市内ラーメン店「源来軒」の藩欽星氏(故人)が、
中華麺に近い「支那そば」を打ち、屋台を引いたのが原点となっている。
当時は、戦争の影響による食糧難の時代でもあり、この「支那そば」は市民にとって、
すばらしいご馳走であり、その味は、市民生活に浸透していくこととなった。
市民の味となった源来軒から、その後、「支那そば」作りのノウハウを継承する人間が増え始め、
市内の多くの「食堂」が「支那そば(中華そば)」をメニューに出すようになった。
このような流れから、現在も、市内の多くのラーメン店が、「○○ラーメン」という屋号ではなく、
「○○食堂」という屋号を使っているところが多い。
現在、喜多方市はラーメンの街としてその名が馳せているが、
喜多方市の観光の原点は、「蔵」から始まる。
市内で写真館(金田写真荘、金田実氏(故人))が、四季を通して蔵の写真を500枚ほど撮り、
その写真展を東京で開催したことで「蔵のまち喜多方」が浸透した。
そのような流れの中、昭和50年、NHKの「新日本紀行」で、「蔵のまち喜多方」が紹介されたことで、
喜多方を訪れる観光客が急増した(「新日本紀行」での放映は、NHKプロデューサー須磨章氏著、
「蔵の夢」(三五館出版)に詳しい)。
喜多方市は、「新日本紀行」をきっかけに蔵の街として観光客が訪れる街となったが、
一方で、蔵の観光だけでは、2-3時間程度の滞在となり、観光収益の増大のためには
観光客の滞在時間の増加が課題となっていた。
昭和57年頃、市の商工観光課の職員は、団体の観光客の滞在時間増加を図るため、
団体客のための昼食場所を探し始めたが、市内の日本料理屋には団体客を受け入れる
スペースなどがないことから、市の御用達としているラーメン店に目をつけ、
団体客用の昼食場所として、観光業者に紹介を行った。
市が紹介したラーメン店は「まこと食堂」であったが、1杯数百円の安い値段のお店を昼食場所に
紹介することに一抹の不安もあったことから、民放の関係者を「まこと食堂」に連れて行き、
意見などを聞いた結果、「まこと食堂」のラーメンが特徴的であるとのことから、
民放のテレビ番組に取り上げられることとなった。
同時に、観光協会が買い上げている日本交通公社(現JTB)の「るるぶ」のPR記事1ページ分に
喜多方ラーメンが紹介され、さらに、NHKなどでも取り上げられたことから、
喜多方ラーメンが昭和57、8年頃よりブレークすることとなった――というわけです。
喜多方ラーメンの有名店には以下のお店があります。
■源来軒 (喜多方ラーメン発祥の店)
■坂内食堂 (全国にも、その味をチェーン展開している店)
■あべ食堂 (蔵座敷で食べられるスペースあり)
■はせ川 (看板が出ていないが、平日でも他県からも食べに来る程の名店)
■まこと食堂(喜多方ラーメンとして紹介された最初の店)
■さゆり食堂
さて、そんな喜多方ラーメン、最近は朝から食べる「朝ラー」が
人気なんだとか。
朝からラーメン。
ちょっとメタボ対策上は、あまりめススメられませんけど(^^;)、
さっぱりしているから、まあいいのかな?とも思います。
いかがですかね~。
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